cabecera

モンテフリオ

地方 ------------ アンダルシア地方

--------------- グラナダ県

面積 ------------ 254平方キロメートル

人口 ------------ 6.282人

montefrio

スペイン南部のアンダルシア地方グラナダ県西部に位置する自治体ロハ(Loja)に所属しコルドバ県の県境にあたる。

歴史

紀元前4千500年の石器時代には集落があった。ローマ人がやってくる以前のイベロ族の時代に墳墓(ドルメン)が造られ現在もそれが残されている。

ローマ時代になると戦略的に重要な場所となりモンテフリオは更に発展した。ローマ人の遺跡はゆっくりとしたリズムではあるが発掘が進んでいる。

ローマ人の町はその後西ゴートにも受け継がれたが、他のスペイン同様に711年にジブラルタル海峡をアフリカから渡ってきたイスラム教徒に征服される。

だがモンテフリオは1352年になると、イスラム王の命令で7キロほど離れた現在の町に移転されることになり、丘の上に城が建設されその裾に町が造られていく。

国土回復運動(レコンキスタ)によりイベリア半島がキリスト教徒に奪回されていきイスラムの領土はグラナダを首都としたナスール王朝のみになる。モンテフリオは王朝の国境線に位置する重要な町となるが、グラナダ攻撃の6年前の1486年にカトリック両王の手に落ちる。

イスラム教徒の城砦跡にはカトリック教会が建設され、エンカルナシオン教会(1786-1802)が建設されるまで町の重要な教会として使用されている。

キリスト教徒時代になり戦略的に重要性が失われ、またイスラム教徒が町を離れたことによりモンテフリオの人口が激減することにあり、それに伴い経済的にも落ち込んでいく。

18世紀から19世紀にかけてモンテフリオの人口が増加すると20世紀初頭には10、000人を超した。1930年の統計によると人口は14、380人となっている。ただしスペイン市民戦争や産業発展により過疎化が進むと人口は減少している。ちなみに現在のモンテフリオの人口は6,282人である。

産業

モンテフリオの主な産業は農業で町の経済の90%以上を占めている。平坦な土地が少ないモンテフリオでは、山の斜面を利用してオリーブの生産をしており面積は20,000ヘクタールで、これは農地の80%である。残りの20%び土地を主にアスパラガスと小麦の生産に利用している。

農業以外の産業では、約75%が観光や教育関係を含むサービス業で、次にエネルギー産業を含むその他の工場で、建築は1%しかない。

観光場所

ヴィリャ教会

イスラム時代の城砦跡に建てられた教会でエンカルナシオン教会が建てられるまで町のメインの教会であった。現在はイスラムの歴史博物館になっている。


villa

エンカルナシオン教会

1786年に建設が始まり完成は1802年の円形の教会。教会としてこの形は珍しくヨーロッパではモンテフリオ以外に存在しない。ローマのパンテオンと同じ形をしているが、おそらく円形の教会の発想はそこか出ていると思われる。


encarnacion

ペニャ展望台

いくつかある展望台のひとつ。町を見下ろすことができる。徒歩で坂道を登らないといけないが目の前に広がるパノラマは苦労して上る価値はある。


mirPena

トコン展望台

車でも行ける展望台。目の前の切り立った丘はかつての城砦とビリャ教会。


mirTocon



ペニャ・デ・ロス・ヒタノス

モンテフリオから7km離れた山の中腹にあり、かつてモンテフリオの町があった所。ドルメンが残っていてローマの遺跡もすぐ近くになる。


penaGitanos

特産品

チーズ

平地が少ないモンテフリオでは牛乳と山羊のミルクを合わせたチーズを生産している。生産される量は多くないので売り切れると翌日まで買うことができない。

オリーブオイル

モンテフリオの周囲にはオリーブ畑が広がり良質のオイルが生産される。特に希少価値のあるチョレアオとピクドの2種類で作られるオイルは評判がよい。

prod_aceite
prod_queso