歴史
紀元前4千500年の石器時代には集落があった。ローマ人がやってくる以前のイベロ族の時代に墳墓(ドルメン)が造られ現在もそれが残されている。
ローマ時代になると戦略的に重要な場所となりモンテフリオは更に発展した。ローマ人の遺跡はゆっくりとしたリズムではあるが発掘が進んでいる。
ローマ人の町はその後西ゴートにも受け継がれたが、他のスペイン同様に711年にジブラルタル海峡をアフリカから渡ってきたイスラム教徒に征服される。
だがモンテフリオは1352年になると、イスラム王の命令で7キロほど離れた現在の町に移転されることになり、丘の上に城が建設されその裾に町が造られていく。
国土回復運動(レコンキスタ)によりイベリア半島がキリスト教徒に奪回されていきイスラムの領土はグラナダを首都としたナスール王朝のみになる。モンテフリオは王朝の国境線に位置する重要な町となるが、グラナダ攻撃の6年前の1486年にカトリック両王の手に落ちる。
イスラム教徒の城砦跡にはカトリック教会が建設され、エンカルナシオン教会(1786-1802)が建設されるまで町の重要な教会として使用されている。
キリスト教徒時代になり戦略的に重要性が失われ、またイスラム教徒が町を離れたことによりモンテフリオの人口が激減することにあり、それに伴い経済的にも落ち込んでいく。
18世紀から19世紀にかけてモンテフリオの人口が増加すると20世紀初頭には10、000人を超した。1930年の統計によると人口は14、380人となっている。ただしスペイン市民戦争や産業発展により過疎化が進むと人口は減少している。ちなみに現在のモンテフリオの人口は6,282人である。